祖父母への恩返し。
貧乏な僕を支えて助けてくれた祖父母への恩返し。
・周りと違う環境。
僕は今、大学生です。
今年大きく話題になったアメリカンフットボールをしていました。
アメフトを始めたのは高校からなのですがそれまではとてもまじめとは言えないような人間でした。
中学時代、クラスの大半の人間とは考え方や感じ方がずれていていわゆる不良と呼ばれるようなグループにいました。
その当時は悪いことをしている実感は無く『楽しいから、遊びの延長だ。』と思っていました。
ただそれだけが周りとズレていたわけではありませんでした。
金銭面が周りとは大きく違っていました。
例えば遠足に行くとき周りの皆は当たり前のようにたくさんのお菓子を買ってもらっているのですがなぜか僕の家ではそうじゃない。それが悔しくてお菓子を手に入れるためには盗るしかない、周りと同じようになりたいとその当時は純粋な気持ちでいけないことをしてしまうことも多々ありました。
そして当然頭も悪く公立には行けず親が比較的安い私立に行かせてくれました。
そこで大きく人生が変わりました。
・最も貧乏な高校時代
アメフト部に入ることになったのですがそこは日本でもトップレベルで厳しいチームで僕の人間性から何まですべて叩き直されました。
その環境で変わったのは僕だけでなく家庭環境です。
アメフトは道具を一式そろえるのに安くても10万くらいするのです。
ただでさえ貧乏な家庭にはかなり効きました。
そこから父親は早朝から夜の20、21頃に帰宅し仮眠をとりまたすぐに夜勤に行くというかなり過酷な生活をしていました。そんな父親の努力があっても家庭は厳しく僕には兄弟がいるので本当に余裕がありませんでした。
お小遣いなんてものはもちろんなく財布の中は常にゼロ円ですし、そもそも部活にオフがなくひどいときは一か月内なんてこともありました。なので僕は時間もお金もないので必死にアメフトだけを頑張りました。
その当時は、家に帰れば電気代節約のために電気がついていなかったり、晩御飯は白米に鯖缶のみなど本当に今思えばひどいものでした。
そんな時おなか一杯にご飯をくれたのが祖父母の存在でした。
・祖父母の支え
僕の祖父母の自宅が通っていた高校から近く、本当に疲れ果てて片道1時間かかる実家に帰れない時は祖父母のもとへ帰っていました。
祖父はその当時から体調がすぐれておらず祖母が早朝から働きに出ていました。
ですからきっとあの二人もお金には余裕がなかったと思います。
でも家に行けばいつも笑顔で迎えてくれてうれしそうにご飯をふるまってくれました。
祖父は病気のせいで耳がだんだん遠くなり喋りにくそうでしたが笑顔でよく話してくれました。
毎日が憂鬱で本当につらい高校生活でしたがあの二人が唯一の心の拠り所でした。
その時僕は知らなかったのですが祖父は肺がんと闘っていました。
きっと痛くて、苦しかったと思いますが孫の前では一切の弱みを見せない強い男でした。
体調がすぐれないことは知っていたので辛くても僕も頑張ろうと祖父の背中から大きなものを学びました。
そして高校では全国に出場して大学には名門に推薦入学できました。
ですが、大学2年生になり不幸が続きました。
・様々な終止符。
僕が学生時代のすべてをささげて遊びを捨てて頑張ったアメフトが、
脳の問題で続けられなくなりました。
本当に悩みました。このまま部に残るか、退部するか。
家庭環境を考えると今の環境は負担が大きすぎる上に選手ができないのでスタッフになるという選択肢はあまりにも酷でした。
そんな僕の人生にとって大きな出来事があった矢先、父親が過労により倒れ緊急搬送されたり、祖父の体調も悪化するなどいろいろなことが重なりました。
そして祖父の体調が悪くいつ最悪の事態になるかわからないので親族一同が集まりました。
僕は同じ大阪に住んでいるので何度も家に行っていたのですが祖父は寝たきりで話すことはできませんでした。
ですが広島に住む従妹がきて孫が全員家に来た時には相当辛かったと思うのですが椅子に座りっぱなしで必死に色んな話をしてくれました。
やはり孫の僕たちを心配させないように無理をしてでも元気に見せようと冗談なんかも言っていました。本当に強い人でした。
そして僕たちが帰り、その翌日にいとこが広島に帰りました。
その翌日、朝6時に突然父親に起こされ祖父が亡くなったと告げられました。
つい2、3日前にあったのに、頑張って会話したのに、全てがもうなくなったんだと絶望感でいっぱいでした。
でも僕より誰よりつらいのは50年連れ添った祖母です。
最後に本当にお別れの時初めて祖母が泣いているのを見ました。
どんなに辛くても、しんどくてもそれを見せずに僕たちに常に笑顔だった祖母が泣いていました。
その時に絶対にこの人に恩返ししようと決めました。
今ある環境が一生は続かないんだと自分の大切なものを失ってやっと気が付きました。
祖母だって今は元気ですがいつ何があるかわからない。
それならば恩返しをすぐにでもしなくてはと思いました。
そこで友人からこのポルカを教えてもらいました。
こういったことは自分ですべてするべきだと思います。
ですが現実的に見てかなり時間が必要だと気づいたので力を借りようと思いました。
もしよろしければこのURLでも飛べますのでお力を借りたいです。
祖父との別れで一番後悔したのは写真がないこと。
僕は今写真を撮ることに熱中しています。そこで祖母との思い出として写真を残そうと思いました。
写真は一瞬を一生残せる唯一の手段だと思います。
もし元気がなくなったり、歩くことができなくても写真ならいつでも見ることができるので必ず祖母の力になる時が来ると思いました。
そういったところから今回のポルカの内容にさせていただきました。
この記事を読んでくれた方には
このポルカもですがそれよりも家に帰れば当たり前のようにご飯がある環境や、家族、仲間、恋人がいることの大切さやありがたさを思い出しもらえたらいいなと思います。